栃木県真岡市で、悲惨な殺人事件が起きた。
被害者の金を奪う目的で、女と共謀し殺したうえ主犯の実家敷地内に
埋めるという、凶悪な犯罪です。
ここでふと思ったのが、以前読んだ東野圭吾氏の“手紙”です。
主人公の兄が強盗殺人をはたらき受刑した。
ここから主人公(弟)の苦難が始まる。
“強盗殺人犯の弟”というレッテルは、弟からあらゆる可能性を奪ってゆく。
大学受験、アルバイト、歌手デビュー、就職、結婚・・・・
隠してもすぐに、ふとしたことから分かってしまう。
強盗殺人犯は兄で、弟は全く関係ないことだ、と頭では理解できるが
言葉には表さないが、皆 面倒に関わりたくないのだ。それが態度に出てしまうのです。
差別や偏見のない世の中はありえない。
ならば、立ち向かおうと主人公は決め、果敢に立ち向かっていくのだが、
それが自分だけならまだ耐えれる。それが、
嫁や子供にも及ぶと耐えれない。強盗殺人犯の義妹、強盗殺人犯の姪
何のために生まれてきたのだろう。俺達は幸になってはいけないのか。
主人公の声が胸に刺さったのを覚えています。
犯人が罰を受けるのは当然だが、受けるのは犯人だけではないのです。
また、被害者家族も苦悩が消えることはない。癒されることはない。
絶対にしてはならないことなんです。