こんにちは!福井市で、「任せて大丈夫!」と頼られる、リフォーム会社社長の石橋直巳です。

「みんな、リビングでくつろぐ時間が増えた。」
と家族みんなが笑顔になってもらえることが、わたしのよろこびです。

そのために、家族が、一つの方向を向いていけるようにお役に立ちたいと思っています。

石橋直巳肖像

なぜわたしが【信じる】を使命と掲げているのか?そのわけを聴いていただけますか?

「おい、キャッチボールするぞ!」

小学生のとき。学校から帰って家にいたら、急に親父が帰って来ました。いきなり、紙袋からグローブと軟式野球のボールを出して来たのです。そして、外に連れ出されて、初めてのキャッチボール。

親父は、一代で立ち上げた建築会社の仕事に、いつも追われていました。そのため、いままで、一度もキャッチボールはおろか、一緒に遊んだ記憶もほとんどありません。

そんな父が、グローブとボールを買ってきて、いきなり、

「おい、キャッチボールをするぞ!」

なんて、びっくり。

「なんや、そんな球も取れんのか?」

って言われたけど、僕の頭の中は???ばかり。

「急になんやろ?どうしたんだろう?」

戸惑いながらのキャッチボール。
時間にして数分、何十分かの短い時間。

「えっ?もう終わり?」
ボールが上手く捕れなくてホッとしたのと、もっとしたいやら、複雑な気持ち。

でも、何だかちょっぴり、うれしかった。

「やっぱり、気にかけてくれてたんだ。」

たった一回だけの親父とのキャッチボール。

終わった後に、
「僕も大人になったら息子とキャッチボール、したいなあ」
というあったかい想いがこみ上げてきました。

子供時代

「なんで、比べるんやって!」

親父は、自分で立ち上げた建築会社の仕事で、手一杯。母親も、働きに出る。
そんなわたしは、じいちゃんばあちゃん子として育てられました。

小さいころから、「あんたは石橋家の跡取りやでの。」と期待されて育ちました。ところが、勉強ができない。
上級生にいじめられては、よく泣いて家に帰る。

「なんで、おまえはできないんや。」
と、ばあちゃんに言われるたびに、

「なんで、比べるんやって?」
と心の中で、強くつぶやいていました。

友だちがいるようでいない。
中学のとき、「ペアになって絵を書きましょう。」と先生に言われてもだれもペアになってくれない。

自信もなく、人見知りで、「嫌われたら、どうしよう。」といつも不安。
自分から、友だちに、「一緒に遊ぼう。」と言えない。
そんな自分がイヤだったので、高校に入る前に、「自分を変えよう!」
そう決意しました。

「だれも知らない高校へ行って、なりたい自分になろう。」
そう決意して、自転車で50分もかかる高校へ通いました。

高校1年のとき。親父の建築業界の集まりで、ソフトボール大会がありました。
参加者に、建築会社二代目の先輩がいました。

まだ、二十代なのに、社員や職人さんから、「アニキについて行きますよ。」と言われているのを見て、心の底から、すごくうらやましかった。

「いいなあ。あんな風になりたい。」

人に頼ってもらえることに、強いあこがれを持ったのです。あこがれ

「わかったよ。おれがやるよ。」

大学は、新しい自分に生まれ変わるために、福井から出て東京の大学を選びました。そのまま東京の土木会社に就職。

28歳のとき、バブルが崩壊して、就職先の会社の業績も悪くなってきました。そんなとき、福井の親父から、急に、「帰ってこい。」という連絡。

「どうして、急に?」

その理由は、わかりませんでした。ただ、なにかの力に引かれるように、帰りたくなかった福井に帰ることにしたのです。

その後、福井にも遅れてきたバブル崩壊の波が訪れ、会社の業績も急激に悪化していきました。そんなとき、医者から、「お父様は、あと一年です。」と診断されました。親父が亡くなるということを信じられませんでした。

会社の状況は、益々悪化。ある日、入院中の親父が、今まで見せたことがない弱々しい表情で、申し訳なさそうに言うのです。

「すまんな。これを足しにしてくれや。」
そう言って株券を差し出しました。病床でも、「なんとかしなきゃ」と思ってくれていたと思うと、熱いものがこみあげてきました。

その時、「わかったよ。おれがやるよ。」と口にしていました。

それまでは、「自分は経営者の器ではない。」といつもいつも自信がない自分だったのに、親父の想いを継ぎたい想いから出た言葉でした。

それから一週間後、親父はベットからがばっと起きて、わたしの手をしっかり握りました。それが親父との最後の会話。最後の挨拶でした。

?集合写真

「一緒に来てくれないか?」

36歳のとき親父が亡くなり、会社を引き継ぎました。親父には、「俺がやるでな。」と言ったものの、一人で責任を背負って、どうしていいかわからない状況でした。どんどん赤字が膨らみ、会社は、ダメになっていくばかり。

「本当は、叔父さん(父の弟)が、社長をやった方がいいのに。」
と思っていても、口にすることができませんでした。

「どうせ、わかってくれない…」という気持ちと、「俺には、やっぱり無理だ…」という気持ちのまま、なにもできない。

ある日、かみさんから、言われました。

「あなた、うちにもうお金ないよ。」

「親父が作った会社をつぶす訳にはいかない。」と思い、会社を清算することにしました。そのために、社員にも辞めてもらい、会社を閉めることにしました。

その後、負債処理に明け暮れる日々。

「やだなぁ…だから、無理だっていったじゃないか。」

という罪悪感と被害者意識の中、親父の期待に応えられなかったという気持ちでいっぱいでした。

ある日、かみさんから、「あなた、これからどうするの?」と聞かれました。
そのとき、わたしは、「このまま終わりたくない。もう一度建築で、親父に認められたい。」という想いが芽生えていました。

その想いを支えてくれる経営の先生がいました。「この人についていこう。」という気持ちになる人がいました。

その人が、新しく経営者のための塾を立ち上げる。「そこに参加したい。」という想いがありました。ただ、自分一人の判断に自信がなかったのです。そのとき、自分一人では、どうしていいのか、わからなかったのです。

そのとき、初めて、「自分一人ではなにもできないんだ。」ということを自覚したのです。そして、かみさんに、初めて、助けを求めました。
そこで、勇気を持って、かみさんに話をしました。

「これからやって行く上で、おまえに会って欲しい人がいるので、一緒に来てくれないか?」

かみさんに「一緒に来てくれないか?」と口にすることで、初めて、人に頼るという経験をしました。それから、かみさんを頼るようになったのです。

いままで、孤独に頑張っていたのが、味方でいてくれることが、とてもうれしいのです。

この体験から、わたしがいたらなかったのは、人を信じて、人を頼るということだと気付かされました。自分に自信がなかったので、自分を信じられない。そんな自分を隠そうと、見得を張っていたので、人を信じて頼ることができなかった。

「一人ではなにもできないので、助けてください。」
そう口にする勇気が欠けていたのです。

このような体験から、わたしの使命は、「信じる」と決意しました。
自分を信じ、人を信じることを使命としたのです。

家族

「心の棘」

わたしは、建築の仕事でもう一度やり直す上で、新築で行くのか、リフォームで行くのか、迷っていました。すると、かみさんが、「わたし、OBさん(既存のお客さん)がいいと思う。」と言うのです。かみさんは、既存のお客さんのリフォームがいいというのです。

わたしは、かみさんがいうなら、「よし、リフォームをやるか。もう一度ゼロからやってみよう。」という決心がつきました。かみさんに、「一緒にやろう。」と頼るようになったのです。

それから、既存のお客さんのところを訪問することにしました。そして、ある日、わたしのとって初めてのお客さんから言われた言葉が、忘れられません。

「となりの奥さんのうちを建てた会社、なくなるの。
うちは、石橋さんがいるから安心。」

この言葉を聴いて、初めて、自分の存在価値をみめられたと実感しました。

「おれ、いてもいいんだ。いや、いなきゃいけないんだ。」

このように言われて、あらためて、既存のお客さんを大事にしようと決意したのです。そうしたところ、あるお客さんから、息子さんのための400万円のリフォーム工事を依頼されました。「リフォームをやってよかった。」と、とてもうれしい気持ちになりました。入金後、かみさんとハンバーグを食べに行き、「また、一緒にがんばろうね。」と二人で話したのです。

それから、10数年、おかげさまで、既存のお客さんのリフォームだけで、ここまでやってきました。売上も毎年順調に伸びてくることができました。

そんなわたしの唯一の心に刺さった棘が、叔父さんとの関係です。親父の会社を清算するときやり方で、長年、叔父さんともめていました。

「石橋家のメンツを守りたいだけじゃないのか?
おれは、本当は叔父さんが社長をやった方がいいと思っていたけど、
イヤだ、と言えなかった。
そんなおれの苦しみもわかってくようといないで、
メンツばかり大事にしている。」

そんなわたしの想い込みで、長年ぎくしゃくした関係が続いていました。

ある日、叔父さんが、「なんで、こうなったんだろうなぁ。」とふと弱音をもらしました。それを聴いて、わたしは、思わず、口にしていました。

「じつは、つらかったんや。
本当は、助けてください、と言いたかったんや。
こわくて、言う勇気がなかった。」

この言葉を聴いて、叔父さんも目頭をおさえて、「つらかったんやねぇ。」と言ってくれました。

一番伝えたい人に伝えられたことと、わかってくれたことで、とても気持ちが楽になりました。長年の心の棘が、やっと取れました。

それ以来、いままで以上に、お客さんのところに行ったときに、自分を楽にさらけ出せるようになりました。いままで以上に、お客さんの深い気持ちを聴けるようになったのです。

あるお父さんは、年頃の娘さんに煙たがれて、寂しい想いをしていたので、ちょっとしたアドバイスをしました。 すると、

「子どもたちが変わった。甘えますもん、娘が、パパに(笑)。
『お帰り』って、ぎゅーって、二人のハグが増えた(笑)」

このような報告を聴くことが、わたしのよろこびです。

あるいは、
「みんなクロス一枚にしても、それぞれの希望を持って決めることがいい。
みんなが参加できたことが、楽しかったです。」

「みんなリビングで、くつろぐ時間が増えた。」

このように言っていただくことが、わたしのよろこびです。

どんな家族でも、伝えたくても伝えられない感情を抱えています。
それを、「わかってくれない…」と諦めずに、相手を信じて、一緒にすり合わせる。そのことで、距離が一歩近づく。そんな家族の笑顔に貢献できたら、なによりのしあわせです。

いま、このような気持ちになれるのも、わたしのことを信じてついてきてくれたかみさんのおかげです。かみさんから「信じる」ことを教えてもらいました。

かおり、いつも一緒にいてくれて、ありがとう。

アイサンホーム代表 石橋直巳

かみさんと

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